1.簿記の語源
1)オランダ語の「Boekhouden」の和訳として初めて簿記を用いたとされるのは、明六社の津田真道(1874年)である。
複式簿記は長崎(出島)のオランダ商館を通して、その存在だけは紹介されていた。
ただし、江戸時代の商業簿記は大福帳に代表される単式簿記であった。
2)福沢諭吉が1873年(明治6年)に英語のbookkeepingの和訳として「帳合」を用いた。
3)「帳簿に記録する行為」から「簿記」の言葉が生まれた。
4)簿記の語源はbookkeepingの語感とは何の関係もない。
2.簿記とはなにか(簿記の本質)
簿記とは、①企業の商取引を記録し②その損益を計算し③その結果を利害関係者へ報告
することを言う。
すなわち、「記録」「計算」「報告」
この3つが簿記の機能である。
機能1)財産(財貨)の取り引きを正確に記録する。 そのことで「財産を管理」する。
機能2)取り引きの二面性。
取引を原因と結果に「二重記録」すること、
そして企業損益をフローとストックの二面計算により導く。
この二面性があるゆえにダブルエントリーシステム(複式記入)となる。
機能3)最後は利害関係者へ対外報告書作成し、その報告をする。
これら一連のプロセスが体系化されたシステムのことである。
3.簿記の起源(借方と貸方の意味)
13世紀の北イタリアでの記録が、現存する最古の簿記の記録である。
11世紀から約180年に及ぶ十字軍の遠征により、北イタリア地方は未曾有の繁栄を
誇ることになる。
金融業を中心とした商業が栄え、そこに「信用取引」や「為替取引」が生まれた。
「複式簿記」はその信用取引(債務債権)の備忘録として産声を上げた。
また、アラビア数字の伝播と(安価な)紙の普及も見逃せない要因であった。
従来のローマ数字は商用には不向きであった。
(計算方法が煩雑で、改ざんされる危険性が極めて高かった)
初期の簿記は金品貸借の備忘録であったため、以下のように記入(記帳)された。
尚、金銭貸し借りの記録なので、最初は「人名勘定」からスタートした。
帳簿記入(記帳)における主体者は「自分」である。
つまり、自分から見て金銭を貸している人を自分から借りた人として「借方」とした。
そして自分に金銭を貸した人を「貸方」とした。
「借方」(Dr.)Debit ラテン語の意味は「相手が自分に負債を負う」
「貸方」(Cr.)Credit ラテン語の意味は「相手が自分に貸し付ける」
帳簿の上から順番に、自分が貸した人(自分から見て借りた人)の明細を書き
返済があれば消し込みが記入される。
下のほうには、自分が借りた人から(自分から見て貸した人)の明細を書き
返済すると消し込む。
それを帳面を上下二分して上側を借方、下側を貸方として記帳した。
その後、見開きの1ページに書くようになって左側に「借方」右側に「貸方」を記載することが慣例として定着したのである。
そして人名勘定だけでなく、商品勘定や現金勘定も使用されることになり、
「貸借一致の原則」も発明された。
4.複式簿記の誕生(まとめ)
記録や約束事を文章(帳簿)で残し、儲けを明らかにして、それを仲間に報告する。
この発明は、12~13世紀頃の北イタリアで生まれた。
複式簿記の本質とは、
①取引の二重記録(備忘録)と
②企業損益を原因と結果の二面計算によって導くことにある。
簿記こそは、あらゆる経済活動の原始記録であり、その結果(企業の損益)となる原因が記入されているのである。
そして、1494年にイタリアの数学者ルカ・パチョーリにより「算術、幾何、比及び比例全書(スンマ)」として初めて書物としてまとめられた。
当時、ヴェネツィアやフィレンツェの商人達が使っていた(複式)簿記の技術を”まとめて整理”したものが出版されたのである。
毎日、帳簿を付け、ある期日に棚卸しを行い、フローの損益計算書とストックのバランスシートを作る。
そして仲間内で利益の分配を行う。
こうした行為が、14世紀の北イタリアで誕生していたのである。
複式簿記とは、
1)企業の取引を記録し
2)財産と損益の状態を同時に把握することができる「技術」である。
複式簿記は商業の繁栄とその大規模化に伴い、自分たちの商売の現状を理解・把握する極めて有効な手段として諸国へ伝播して行ったのである。
文豪ゲーテの著作より引用~
「複式簿記が商人にあたえてくれる利益は計り知れないほどだ。人間の精神が産んだ最高の発明の一つだね。立派な経営者は誰でも、経営に複式簿記を取り入れるべきなんだ」
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〈初出日2020.0414〉