労使見解の成立とMGの誕生は、ほぼ同時期です。
1975年1月 中小企業における労使関係の見解(労使見解)を発表
1976年2月 MGの発表
この二つを同じ俎上に載せるのは、そのめざすところ(経営思想)が、奇しくも全く同じところにあるからです。
それは人間尊重の経営であり、西語独特の言いまわしによる「楽して儲ける」「皆で儲ける」Y理論経営のことです。
Y理論は、経営学者D.マグレガーより提唱された労務管理論(「企業の人間的側面」産業能率大出版)ですが、その本質は「人間を信じる」「人は可能性に満ちている」「人は承認されたら自ら労務を提供する」「人は決して報酬のためだけに働くのではない」ということにあります。
このテーマを労使見解とMGという切り口で分解してみると、その真意が容易に理解できるのです。
1.経営者の責任
労使見解では冒頭に「経営者である以上、いかに環境がきびしくとも、時代の変化に対応して、経営を維持し発展させる責任があります」と宣言されています。
経営とはMQ>Fであり、経営者にその覚悟をまず求めているのです。
さらに維持、発展させるには手段としてのGが必要になってきます。
変化に機敏に対応するには、社員教育とF4(戦略費)の投入は不可避です。
また、経営者はGの根拠を社員全員に説明納得してもらうために情報の開示、またその情報を理解できる教育が必須になるのは当然です。
「中小企業だから、何も云わなくても社員はわかってもらえるだろう」という思い込みは経営者の勉強不足以外の何物でもありません。
目標MQ(MQの最大化)が明確に設定(計画)されれば、それは自己実現と報酬とで自分たちへ返ってくるわけですから、自律的・自主的に社員は行動する、すなわちベクトルの向きが揃うというわけです。
このような経営環境を社内に構築することが、経営者の責任です。
2.対等な関係
相手中心主義。 聞く耳を持つ態度。
Plan-Do-Seeを皆で行う。 計画も実行もその評価も皆で行う。
全員でねぎらいあい、全員で反省する。
そこには相手の人格を互いに認め合う、平等な関係があります。
自分の特性や特技を目標のために、進んで提供しあう社風です。
基本的権利の尊重、またその人格は対等であるが、企業の一員としての管理機構や業務指示の系統は従業員にとって尊重されるべきものです。(労使見解5P上段より)
社員は単なる労働力ではない。 労務を提供する見返りとしての賃金を得るだけではありません。
労使一体となっての達成感、そこには利益も当然あり、成果は全員が納得できるかたちで配分がなされる。
事業の目的は経営理念の実現と、社員の生活の安定と向上です。
社員はその目的達成のためのパートナーなのです。
3.自由と情報による管理
安定した雇用と社会的に妥当な賃金水準を求めることは、当然の基本的権利です。 そして休日の増加もです。
それを実現するための担保となるのが、数値計画でしょう。
目標達成、すなわち賃金の上昇と休日の増加のための原資は目標MQを達成するしか方法はないことを、従業員全員が理解することがスタートになります。
そしてそのこと(情報)を完全に理解できる教育もまた不可分一致の条件になります。
情報を正しく伝えて、それを正しく理解できれば、いま自分たちが何をするべきなのかはわかります。
経営計画はそのために存在意義があると考えます。
「教育はすべての業務に優先する」(後藤昌幸氏)
4.やりがいの問題
この課題はY理論経営の実践者である小林 茂氏(ソニー厚木工場長)の「第三の組織論」に、その具体的実践例が描かれています。
利益のないところにやりがいは生まれません。
鶏が先か卵が先かの話になりますが、どちらも必要です。
いくら社会から必要とされ、自分たちのやりがいが実現できる仕事(会社)でも、Gがでなければ継続もできないし、存続すらできないでしょう。
X理論はそもそも社員を信用していませんから「規則と命令」で管理します。
Y理論管理はその反対で、社員をパートナーとして見ていますから「自由と情報」です。
労使見解は人間的側面から
またMGはその科学的側面から
「人間尊重経営」「人を生かす経営」へのアプローチに他ならないと云えるのです。
〈初出日2018.1227〉
- 投稿タグ
- MG研修 マネジメントゲーム, Y理論, 労使見解